群青写真

ありとあらゆるしがらみの中で
あなたが好きだと伝えるために
晴れた日にビニール傘さして歩いた
汚れた川が緩やかに貫く街のどこかで
真新しい人形が懐かしいダンスを踊ってる
遠い空を見上げて私は思う
世の中の定めに沿った優しい時間を
生きてることについて、少しだけ
嗚呼、そのうちに出会えたら、
儚い言葉で綴ったシナリオの終わりに
あなたが好きだと伝えたい

機械仕掛けの運命の財産として
群青色に染まるハートを贈られたのね
笑顔で写った写真に添えて、何も言わずに眺めてほしい
言葉が飛び交う不揃いな時代の最中にて

ちゃんと手入れをしていたお庭の
緑が変わってしまったときに
少しだけ泣いたあと、わざと笑った
黄色いガスがゆらゆらと揺らめく未明の空に
渡り鳥が群れを成し、不確かな今日を信じて飛ぶ
強い風に吹かれて私は思う
澱みないリズムに沿った便利な言葉が
あなたに届いていればいいんだけど
そう、そんなことを思いながら、
真白い頭に描いたシナリオに溶け込む
あなたの頬に色を足す

予定調和の運命の旅人として
砂漠の魚に会える地図を渡されたのよ
でたらめに読んだ音符のように、何も知らずに晴れる世界
時には跳ね合う二人だけの、青い青い空、ねえ

モノクロームの足音聞こえれば
手書きのサインで喜びを歌う

Lu Lu Lu Lu Lu……

 

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18歳ごろに書いた詩です。
この頃は歌詞を意識していたので、一番、二番があって、字数も合わせようと頑張っていました。なのでちょっと無理矢理だなと感じる部分もありますね、今読むと。
でもその作業のおかげで、言葉をたくさん調べました。決して無駄じゃない、むしろ自分の糧になることでした。

この詩は、便利になった時代だからこそ、手間暇をかけること不便なこと、予測不能なことに価値を見出したいなと思って書きました。

この考え方は、今も続いています。
コーヒーをわざわざ豆からハンドドリップで淹れたり、メモを手書きで取ったり、時にはバスや電車だけじゃなく足を使って移動したり、、、
やっぱり、手間暇をかけるともの大事さとか人の優しさとかが身に染みるんですよね。「ていねいな暮らし」とかよく言いますけど、いいことだと思います。

その一方で、便利なあれこれを享受しながら生きてることも忘れないようにしています。
こういう時代なので、サバイバルのように生きることは難しい。使えるものは有り難く使わせてもらって、要は、すべてを当たり前と思わないこと。価値を感じること、感謝すること、そしてちゃんと見極めること。
その目と心を持つことが「ていねいな暮らし」の一歩じゃないですかね。

余談ですが、この詩の全体的な雰囲気は、キンモクセイの名曲『二人のアカボシ』にインスピレーションを受けました。工場地帯、高速道路、明け方…そんなイメージが「黄色いガスが〜」の辺りに現れています。